Name: そむちゃい吉田
Age: 4x才
略歴:
序:198x年クレヨンしんちゃんの街の東にある高校を卒業。
@在学時からバンド活動に熱中し、EastWestにはジュニア部門ながら2年
@連続で地区予選を勝ち抜いた。卒業後は音楽の勉強を志すも両親に資金無
@く新星堂に就職。4年後、バンドでの活動を主にするため退職。
@しかし、すぐにマネージャーと対立。やりたいことが出来ないとプロ志向を断念。
<新潟時代>
@バンド活動を離れた後、新潟のスキーペンションで足掛け7年を過ごす。
@この時期はスキーに熱中するとともに自己の世界観が広がった時期。
@そのオフシーズンにオーナーに連れて行かれたフィリピン〜中国旅行で
@それまで欧米一辺倒だった趣向が全て変わってしまった。
<タイへ>
1992年
@4月末に初めてのひとり旅でタイ、ネパール、インドネシア、
@フィリピンを周遊。バンコク滞在時に民主化デモへ軍隊が発砲するという
@血の5月事件が発生。まさにその当日、何も知らずにパッポンのバービヤ
@で飲んでいた。その後、パタヤ滞在時に国王裁定のテレビ生中継を目撃し
@やっと事情を理解したというタイデビュー。
1999年5月
@仕事のためにバンコクに赴任。とはいえ、意見の違いから同年末には退社。
@同年赴任とともにぴっぱら奨学金へボランティアとして参加。
@2001〜2年にはバンコク事務局長を勤める。
@活動への参加は現在に至るまで継続。
2000年
@1月ラオス、ビエンチャン陸路で初訪問
@10月知人(日本人)と起業。会社登記や役所との折衝やタイ人従業員との
@トラブルなどにメインの仕事よりも大きなエネルギーを割かれる日々が
@2〜3年続く。
@11月ロイカトン直前に今の奥さんと出会う。
2005年
@大人のイラスト会話集 タイ語 初版 実業之日本社刊(当時)編集に協力
@会社がやっと赤字を脱しつつあったものの、共同経営していた知人との
@トラブルにより退社。同時にタイ友人の人材紹介会社へ就職。
@この時期からしばらく日本人不信になっていた。
<出稼ぎ>
2006年
@大人のイラスト会話タイ語新版 実業之日本社刊(当時)
@大人のタイ極楽ガイド 実業之日本社刊(当時)
@初めて取材から執筆、編集という作業に関わり、出版の大変さを思い知る。
@またイラストや装丁が女性に好評で思わぬ反応を得る。
@日本への出稼ぎを決意。東京都民になる。
2007年
@大人のイラスト会話トラベル 実業之日本社刊(当時)
日本語をタイ語で表記したことでタイ人にも好評に。
@早稲田奉仕園にて初めての講演会「タイの音楽と庶民の生活」を開き、
@定員50人を超え、立ち見もでる好評を博す。
@ルークトゥンの歌手から歌の解説。さらにそれを聴くタイ庶民の生活ぶりを
@2時間で解説するという詰め込みすぎた内容のため、時間オーバーする事態。
2008年
@ばいりんまるタイ語―指さしBOOK&おしゃべりツール ポプラ社(当時)
2010年
@携帯マンガ「タイ物語」全10回 原案執筆開始
@初めてのデジタルコンテンツ。現在6回目まで配信済み。
@10月初旬タイ帰国を決意。当初、バンコクで仕事を探すつもりだったが、
@中旬にラオス勤務を誘われ、11月ビエンチャンに赴任。
<現在>
@ビエンチャンにてビジネスコンサルタント業務に従事。
@そのためにラオス国内はもとよりタイ、ミャンマーと飛び回る日々。。。