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Welcome note

Welcome to my blog. My name is Somchay YOSHIDA. Living in Vientiane, Lao. I try to introduce about Lao and my days in this country. It's like a floating slowly on Mekhong river. Thanx. ;-D

2011/01/26

LAO - THAI EXHIBITION 2011

昼間、街を歩いてこんなポスターを見つけました。
行きたい!
でも、アイ・テックって遠いなぁ。

LAO-THAI TRADE EXHIBITION 2011
26 - 30 / 01 / 2011:AITEC

出演:バンイエン&キャンディー・ラーケン、ヌイ・スウィナー、タンワー・ラシタヌー、ルアンガイほかとラオス人歌手

会場内のホールにて期間中、毎日10時から20時まで開演(これってホントかな?)

2011/01/20

Morning

Many cars parked front of hotel on every morning.
They are waiting to pick up there customer.
And this hotel still decorated christmas.
also chinese new year added...





毎朝、ホテル前には何台もの車が停まっている。
チェックアウト客を迎えにきているのだ。
そのホテルにはまだクリスマスのデコレーションが。
さらに最近、中国正月のデコレーションも加わった。

2011/01/14

Secret war:秘密戦争

Phiu cave, XiengKhouang
America had secret war in LAO
It was covered by Vietnam war.

Phiu cave

アメリカはベトナム戦争当時、ラオス国内に展開した北ベトナム軍や
ラオス共産勢力を掃討するためにラオスにおいて秘密戦争を繰り広げていた


1964年ベトナム戦争が始まるとこの付近の一般住民はピウ洞窟に
生活に必要な施設(学校や病院など)を作り、集団で暮らしていた


1968年に悲劇が起こる
洞窟にゲリラが潜んでいると思い込んだ米軍が一斉に砲撃をしたのだ


避難生活をしていたのは、非武装の一般市民であったため
一方的に攻撃を受けた洞窟はまさに地獄絵図と化した


現在、洞窟は保存され入り口には米軍による攻撃の被害を
後世に残す様々な展示がなされている

ラオスがベトナム戦争によって、最大の被害を受けた国であることは
ほとんど知られていない。
それは、建物や住民の被害だけでなく、モン族を戦争に駆り立て利用し、
今現在に至る禍根を残しているという点においてもだ

2011/01/13

Village of bomb:爆弾の村

Ban Thachok, XiengKhouang
Hmong people biuld there house by cluster bomb


シエンクワン、バーン・ターヂョーク
一見、ごく普通の伝統家屋のように見える



ここのモン族はアメリカ軍が落として行った
クラスター爆弾を活用して家を建てた



爆弾は、家の土台柱の部分やプランターとして使われている
30年も経つが、未だに使い切れずに並べられている


すでにこの爆弾が落とされたのは遥か昔
その村の片隅で若い夫婦が協力して、トウモロコシを轢いていた


この若い夫婦は、過去の遺物に建てられた家で未来を築いている最中だ

2011/01/12

Crater:クレーター

2010年11月9日から
クラスター爆弾禁止条約Convention on Cluster Munitions、オスロ条約)
第1回締約国会議が首都ビエンチャンとシエンクワンで行われた。


ラオスはそのクラスター爆弾の最初にして最大の被害国だ
上の写真は、シエンクワンを訪れた際に着陸直前の上空から撮影したもの
空になった貯水池のように点在するのが爆弾によってできたクレーターだ


近くに行くとそこには立派な松すら生えている
よく見ないとクレーターとわからない


なだらかな丘陵地にいくつものクレーターが口を開けている
不発弾の処理は中々進まずまだ全体の数%


未だに不発弾の犠牲になる住民が後を絶たない
それでもここで生きていかなくてはならない人がいる


すぐ近くで出会った子どもたちの笑顔が暗澹たる気持ちを解きほぐしてくれた
この子たちが大人のなる頃までに処理は終わるのだろうか

2011/01/11

Treasure:たからもの

Treasure... It named child.
Could see anywhere anytime of Lao


子は宝
ラオスのどこに行っても、子どもたちの笑い声が聞こえる


子どもを大切に育てる親の姿
時にキビシく、たくさん優しく


子育ては、母親だけの仕事ではない
祖母も曾祖母も手伝っている
子育ては、どこでも大変なこと


大変なことはみんなで助け合えばいい
農耕民族なら当たり前に繰り返してきたこと


子どもは大切な宝物
あしたの家族を守るのは子どもたち

2011/01/10

Lost City:廃墟

MuangKhoun, XiangKhouang Province
Old capital of XiangKhouang


ムアンクーンは、かつて県都だった街
96もの寺院があり、活気に溢れていたという


往時を偲ばせるものは、道ばたに立っている観光案内の写真だけ


平和でささやかな繁栄を打ち砕いたのがベトナム戦争時の米軍の爆撃だ

生々しく残る銃弾の跡

フランス占領時代からの病院や寺院など、無差別の爆撃だったという


今の街にはワット・ピヤワットとワット・フーンが残るのみ


ワット・ピヤワットは被災した当時のまま


黒こげにされた仏像は何を想い虚空を見つめるのだろうか


2011/01/09

Market:市場

Early morning
XamNoua, HouaMouang Province, Northern Lao


朝もやに包まれた街が明るくなるころ
街にはすでに多くの人々が行き交っていた





彼らが向かっていた先に市場があった


わたしは初めての土地に来るとこうした普通の暮らしを
覗くことができる所を見て回るのが好きだ


市場にはその土地に住む人々の暮らしそのものが詰まっている


今や世界経済を引っ張るアジアの一員として
ラオスの地方都市にも好況に余波が浸透しつつある


市場にはそんな雰囲気が溢れていた



タイでは食肉としての水牛はほとんど無くなりつつある
しかし、ラオスではまだまだ多く食されている


グロテスクな写真ですが、これも彼らの生活の一部
こうして目や耳に入るものをそのまま受け止め、
尊重することができて、初めて彼らとの敷居が取り払われる



市場をひと回りして、外に出ると学生たちが学校へと急ぎ足で歩いていた


2011/01/08

Wat Phou;ワットプー

Champa... Lao's National Flower
ラオスの国花「チャンパー」


ラオスに興味を持った人なら誰も知ること。
しかし、ワット・プーこそこの花がラオスで一番最初に
咲いた土地であることはあまり知られていない。


ワット・プーとは、山寺という意味
その名の通り、リンガが立ち並ぶ参道から本殿は見えない


国際支援で修復作業が進められている



日本からは早稲田大学が毎年参加している


しかし、いにしえからの年月にはあがないようが無い
木の根によってひしゃげられた階段をひたすら登る


その先に、まさに下界を見下ろすという風景が待っている



 ワット・プーは、クメール式寺院としては世界で2番目に古い

カンボジアのアンコールワットやアンコールトムよりも古いのだ



 クメール帝国が滅亡後にラオス人によって、仏像が奉納された

クメール寺院に仏像が安置されるという世界的にも珍しい寺院



寺のある山は、 大きな岩がゴロゴロしている
その一角に空洞をただひとりで支える仏像


いったいどれほどの歳月をこうしてきたのだろうか
考えるだけで気が遠くなってきた



ゾウ岩
ヘビ岩
ワニ岩
ワットプーの山には、その奥にまだまだ検証されていない
貴重な遺跡が数千もあるという




山を下りると綺麗な夕焼けが疲れを癒してくれた




Nov,2010: Wat Phou (World Heritage), Champasak